優しい気持ちを大切にしています

理解し会えない苦しさの本質

今回は理解し会えない苦しさの本質についてお話ししたいと思います。
人はいかなる時も理解し合いたいと思うものです。
つまり愛し愛されたいわけですよね。
でも往々にして問題が飽きる時はお互いが一方的に自分だけが愛されたい!と言う主張が関係をこじらせていると思うのです。
私の正当性を理解してほしい。私の我慢した辛い人生を理解してほしい。私の不満を解消するべく愛して欲しい。とにかく愛して、理解して・・・
お互いにこの主張を繰り返している関係は、平行線のまま理解し合う事は永遠に出来ないと思うのです。

ではどうすれば良いのでしょうか?
どうしたらこの理解不能の平行世界から理解し合える並行世界(多様性の世界)へと移行できるのでしょうか。

それにはまず、自身の波動・エネルギーを上げます。
前回の波動・エネルギーをあげるをご参考頂けると嬉しいです。
そしてその波動が上がった時点で、再度平行線の言い合いの問題を振り返ります。
例えば旦那さんがAと言う主張をします。そして奥さんはBと言う主張。
お互いにAとBの正当性を主張し平行線を辿ります。
段々と感情が入り交じり、当初の主張とはかけ離れた激しい感情論に発展し、収拾がつかない状態となります。
そして物別れで沈黙の冷戦が続くわけですよね?笑
まさに腹の中では文句、罵りの嵐が吹き荒れ、平穏な心は一向に訪れません。

そんな時に解決方法としてはまず波動を上げます。これをしないとほぼ平行線の世界からは脱出できません。つまり心の中はイライラの嵐な訳です。(あいつマジでムカつく!の世界に埋没中!笑)
ですからまず波動を上げます。どうやって?はい。
落ち着きます。例えば自然の中(近くの公園でいいですよ)、お気に入りのカフェ、飲み屋(どんちゃん騒ぎはダメですよ)、自分が落ち着ける場所で癒されます。
そしてこの問題を再度ゆっくりと感じていくのです。
まず何故旦那はAと言う正当性を主張するのか?を考えます。(妻が何故Bを主張するのかを考えるでももちろん構いません。)
そして次に何故自分はBと言う正当性を主張するのか?
次に何故私はAと言う主張の正当性を拒否したり、嫌うのか?もしくは反対するのか?を考えます。
色々な理由が浮かび上がってくると思います。
心底やっぱり自分の正当性が確認出来るかとは思いますが・・・残念ながらそれらは大してここでは重要ではありません。笑
この平行世界の問題には大体共通する目的・理由がちゃんとあります。
それは先ほども述べた”私をわかって欲しい・愛して欲しい・大事にして欲しい・認めて欲しい”と言う無条件に愛されたい欲求が存在しているのです。
この欲求が根本にしっかり根づいているのです。しかし大方の方はこの感情・承認欲求を無意識に嫌います。
それはこの感情に気がつくと、自分の情けなさ、弱さや負けを認めるとか・子供みたいに甘えている様で恥ずかしいと感じるからです。
これは多分幼少時代に親、大人、友達に甘えを指摘されて傷ついた経験があり、いまだに癒されていないからだと思います。

つまり無条件に愛されたいと思っている自分は甘えで、その甘えを自分自身で強く罰しているのです。そう、まだまだ癒されていないのです。

そして大概この甘えたい感情を押さえ込んでいる状態と言うのは、自分の真の欲求を押さえ込んでいる状態でもあります。
つまり本当は〇〇したいんだけど・・・本当は〇〇したくないんだけど・・・・でもこんな事言ったら甘えだと猛烈に批判されるし怒られるし馬鹿にされるから言ってはいけないと我慢します。
そして自己の甘えや本心、無条件に愛されたい欲求を色々な理由を持ち出して叶わない様にしているはずです。
例えば便利なお金・健康などを使う方法です。
お金がないから旅行したいけど出来ないんだ。(本心は旅行に行きたいけど、正直に言ったら、甘えんじゃないと言われて傷つくから止めようとか、本当は行きたくないメンバーだから断る理由は健康のせいにしようとか)
仕事をしたくないけど、生活の為にしなくちゃならないんだ。とか
お金や健康は本当に便利なんですねー笑

話を戻しますが、ではどうするのがいいのかと言うと。
まず自分の甘えたい気持ちに全面的に合意します。受け入れる・許すのです。「わかる、ウンウン、わかるよ。私の甘えたい気持ちを許すよ」って伝えてあげてください。
そして心の中で自分自身を強く優しくしっかりと抱きしめてあげて下さい。
そして今一度相手の主張について考えてみて下さい。
そうすると本当はAでもBでも良いじゃん・・・自分が今まで我慢していた部分(甘えたい気持ち・無条件に愛されたい気持ち)に気がついてそれを自分自身で叶えてあげて、甘えたい気持ち・無条件に愛されたい気持ちを自分自身で許していく中でAだろうがBだろうが本当はどうでも良いダミーの問題だと感じられる様になると思います。
もしダミーだと思えない場合は、もっともっと自身に共感してあげて下さい。

つまりこの理解しあえない問題の本質は自分自身の本当の気持ちへの理解、共感、許しが私たちの最大の目的であり、これが私たちの幸せの一つだという事に気がつく訳です。
これは自身の共感ですが、自分の無条件に愛されたい気持ちを受け入れられると言う事は、他者・相手の無条件の愛も受け入れられるのです。
ですのでこの本質が満たされた瞬間Aの主張も分かるしBの主張も分かる様になる。(もしくはAでもBでもどちらでも良い様になる)
そして相手に対して一方的な理解を求める気持ちもなくなり(少なくなり)ただ本当の自分自身を理解する力が育まれている事に喜びと自尊心を感じられると思います。
面白い事にこの自己の理解が自分自身のなかで深まれば深まる程、平行線の世界から並行世界(喜び)へと瞬時に移行している事に感嘆を持って実感出来る事でしょう!

例えば、妻はハワイに行きたいとします。旦那はヨーロッパに行きたい。
この相違がお互いに自分自身の欲求の本質に触れられるとすると、この二人でどこかに仲良く旅行に行きたいと二人で思っているのか、そうであればもっと話し合いをして新たな候補を出すのもいいし、どちらかが譲る事も可能だと思います。
もしくはお互いがその目的地にどうしても行きたいのであって必ずしも夫婦で行きたいわけではないと言う事に気がつく事もあるわけです。そうであればお互いに好きに行けばいいのです。
自身の本質的欲求に気がついた時点で、この様に問題はなくなり(少なくなり)それぞれが出した答えを元に実行していけばいいのです。

まとめ

理解し合えない苦しさの本質は元を正せば、自分自身との理解のし合いが出来ない時に苦しさが生まれると言う結論になるわけです。
それを教えてくれるのが、他者であり他者との軋轢・共感であり素晴らしい世界の多様性であるわけです。
自他を大切にする事はとても意味のある視点であり、私たちの幸せである自身の欲求の本質に気がつく事=裏を返せば苦しさの本質は自己を知らない事から派生している事に気がつく事にも繋がっているのでした。

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