優しい気持ちを大切にしています

理解・共感・尊重・導き

今日は人生においての気持ちの理解・共感・尊重・導きについてお話いたします。
この4つは私たちが生きる上でとても大切なものです。
なぜ大切かと言うとこの4つが根源的な愛だと思うからです。

つまりこの4つの理解度、享受度によりその人の幸せ度が決まると言うことになります。
それでは一つづつ分かりやすく説明していきますね。

理解

これは気持ちを理解することになるわけですが、現代の私たちにとっては簡単ではないと私は思っています。
なぜかと言うと、私たちは普段自分を含め他者の気持ちを理解する習慣やその大切さを理解していない、または他者を敵とみなしていたりする為理解=負け=同意=譲歩しなければならないと勘違いしているからだと思います。
本当の理解とは、ただその人の気持ち、状態をそのまま(感じ)理解することになります。
つまり、Aを単純に Aと理解する、認識すると言うことになります。
本来ここに勝ち負けや優劣、譲歩、批判、迎合などの意識は不要となるはずなんです。
例えば意見の対立が起きた時に、話を聞くことで理解し合う。
あなたはそうなんだ。私はこうなんだ。ただ違いを理解する。
これが純粋な理解という事です。
そして自分自身の気持ちの中でもこの理解し合うことが重要となります。
俗に言う葛藤と言う苦悩状態からの脱却です。
例えばラーメンを食べたい気もするし、パスタも食べたいなぁと言う時。
この時にしっかりと自分の2つの気持ちを個々に理解する。
そうすると理解された個々の気持ちは必ず満足します。
「あぁよかった・・・理解してもらえた。嬉しい気持ちだ」と必ず自分の心は応えてくれます。
もし、葛藤の状態でどっちにも理解を示さなければ、ずーっと決められないかもしれませんし、その事で優柔不断な自分を責め出すかもしれません。または一方の気持ちだけを理解してラーメンを選んで食べたとすると、食べている最中か食べ終わった時に「やっぱりあのニンニクの効いたパスタにすればよかったなぁ・・・ここのラーメンはいまいちだったなぁ」などと後悔することになります。
つまり葛藤する色々な自分の気持ちを理解し合って初めてわたし達は幸せを享受するスタートに立つのです。

次に共感です。

この共感は理解の次のステップです。
共感は理解した後に必ず通る道です。
共に感じる、一緒に感じる意識を持つ事です。
これも他人にも自分にも通用します。
たとえば、子供がどうしても学校に行きたくないと言う場合。
「そうなんだね、行きたくないんだ・・・」(理解)
「理由はあるの?」「特に・・・ない」「まぁそうだね、お母さんもそう時あって学校いかない時があったんだ・・・」「理由があれば教えてほしいけど、理由が特にない場合があってもいいんじゃないかな・・・今日は休む?」
こう理解を示し、自分にもそうゆう体験があった事を伝え共感する。(なければないで、ただ行きたくない時もあるよねと共感する)
共感された子供ももちろん、自分自身も共感した事で幸せを感じるはずです。
これが共感なく、ただお説教的な指導だとしたら、子供も自分自身も不幸せを感じる事となります。

次に尊重です。
この尊重もとても大切で理解し。共感の後上記の例で言うと子供の学校を休みたい気持ちを尊重します。
「今日は休む?行きたくないのなら休んでもいいと思うよ」の一言です。
気持ちは理解もするし、共感もするけど「学校には行くべきでしょ?」なんて言ってしまっては、大きな落胆しか残りません。
結局親は偽善、偽装の理解、共感であり裏切りの行為をされたと子どもは感じるでしょう。
ですのでこの尊重もとても大切なものとなります。

そしてここまできた時にこの尊重でお終いとなると、自身の不安が残ったり、少し物足りないと感じるかと思います。親子のような親密な関係であれば最後の導きを持って終了となるのが望ましいと私は思います。

導き

これは健全な父性を持つことが求められます。
怒りや、暴力で導くのは不健全です。そこには愛がありません。
ただの恐怖と支配があるだけです。
ではどのように導くかと言うと、まず上記の例だと子供の行きたくないと言う気持ちを理解、共感、尊重をし終えた時にその目的を話し合います。
つまり子供の行きたくない理由、行かない目的を導くということです。

例えば、子供が行きたくない理由、行かない目的が友達関係だったり勉強の事かもしれないし恋人かもしれないし、先生との相性、学校全般が漠然とつまらないのかもしれない。
これらは無理に聞き出す事はご法度です。
やはりいつでも聞くよと言うスタンスで、愛をもって見守っているよと伝えるのがいいと思います。
これだけでこの感覚を感じた人はとても安心して過ごせると思います。
そうすると子供は子供で最初は理由がわからないかもしれない、でも見守ってもらえていると言う安心感とともに自己の気持ち、心と向き合って行くことができます。そうすると徐々に理由が見えてくるのです。
「あぁそうか理由はこうだったんだ・・・・もしかして〇〇が嫌なんだ・・・」
「わかったよ、父さん、こうだった」

そして最終の導きの出番です。
その理由(目的)についても理解共感尊重を示し、導きます。
「そうだったんだね、わかってよかったじゃないか、教えてくれてありがとう。父さんは理由がわからない事に心配もしたけど、わかって安心したよ。そして生きているとそういう事も経験してきた。その時に父さんは自分の気持ちと向き合ってそれらを受け入れてきたんだ。〇〇にも同じ様にそうしろとは言わないけれど、一つの参考に伝えておくよ。自分なりに気持ちのいい解決方法を見つけてごらん、分からなかったらまた相談してほしい。〇〇の力になりたいから。」

こうして自分の考える指針や経験を通して一つの案として提案する。
決して強要するのではなく、その案を受け入れるかどうかは子供の意志に任せる。
この導きが育まれないと私たちは路頭に迷い易く、また支配的な指示や一般常識に迎合し自己を失う可能性が高くなります。

こんな感じでしょうか?
これは理想的な手順かもしれませんが、間違いなく基本というか王道です。
そして慣れによって習得できるものです。
ぜひ4つの理解、共感、尊重、導きを人生の中心において生きていってほしいと思います。

補足

この概念は、他者に使う前に自分自身に活用する事からお勧めします。
自己に出来ない事は、他者に対しても出来ないからです。

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