優しい気持ちを大切にしています

自分自身を尊敬する事

今回は自分自身を尊敬する事についてお話ししたいと思います。
皆さんは自分を尊敬していますか?
皆さんはどんな自分を尊敬していますか?
皆さんはありのままの自分を尊敬していますか?
皆さんは自分の生き方を尊敬していますか?
皆さんは自分の考えを尊敬していますか?

どうでしょうか?普段私たちは自分を尊敬するなんて考えもしないかと思います。誰か有名な方を尊敬すると言う方は多くいらっしゃるかと思いますが。
もし自分自身を尊敬なんて出来ないと思われる方は、ぜひ何故自分を尊敬できないのか?を考えてみて下さい。
そして理由を探した後でも、前でも構いませんが私は自分を尊敬する!と独り言を言ってみて下さい。

ではまず自己を尊敬しない事はどんな弊害があるかと言うと、これは至極簡単なんですが自己評価が低く、人生を楽に楽しく生きられる可能性が至極低くなるわけです。
そしてそんな自分を無意識に感じたくないから、他人に依存したり、批判的になったりします。つまり他人軸で生き、いつも不満を外側に求め、他責を繰り返す人生となります。
これは不幸な人生であると私は考えます。ただしこの人生を否定はしません。
何故なら他人軸の人生を送る事も時として大切であり、必要だと思うからです。
ここから得た経験値が人生をより素敵にし豊かにもしてくれると思うからです。
ただ自分を尊敬すると言う意識、概念、経験、実感を知ってもらいたいと私は思います。

ですから、今自分を尊敬できないと思われる方がいるとすれば、まず自分の弱さ、卑劣さ、幼さ、未熟さ、強欲さ、批判精神の強さなどを判断せずにありのまま気がついて下さい。
そしてそういう自分に気がついた自分を尊敬してあげて下さい。
気がつく勇気に、受け入れようとしている自分の勇気に尊敬の念を抱いて下さい。
この瞬間私たちは他者の、社会の目から解放され自分軸の人生を歩み出します。
もちろん自分の中にある優しさや強さや共感力も尊敬してあげて下さい。

一方自分をしっかり尊敬できると思われる方は、何故尊敬できるのかを書き出してみて下さい。
そしてその理由がない自分を尊敬できるかを確認してみて下さい。
つまり何かを成し遂げた自分や、名声などの無い自分・無条件での自己愛を有しているかどうかを確認してみて下さい。

お金、地位がない自分、傷つきやすい自分、信条もない、優しさもない、知恵も知識もない、泣き虫な、卑劣な、依存心の強い自分を尊敬してみて下さい。
どんな自分も尊敬してみて下さい。
その時尊敬できない自分がいるかもしれません。
例えば犯罪を犯す自分を尊敬出来るかという事だとすると、どうでしょうか?
万引きをした自分を尊敬する?そんなバカな・・・
暴言を吐く、人種差別をする自分、嘘を吐く自分・・・尊敬なんて・・・出来ない。
その理由を考える事で見えてくる事があると思います。

例えば暴言を吐く自分の意識の探究をしてきます。
何故暴言を吐くのか?もしかしたら幼少期に暴言を吐かれる状況に晒された。
暴言を吐かないと自分自身を守れない状況を嫌と言うほど経験しているのかもしれない。
故に内心酷く怯えているから暴言を吐く事で保身する・・・かもしれない。
こう言った何かしらの理由が見えるかもしれません。
その場合尊重は出来るが尊敬は出来ないとなるかもしれません。
しかしもし自分が幼い時から保身の為、暴言に晒された過酷な状況を生き抜いてきたとすれば、それは尊重では事足ることなど無い、尊敬に値する事だと思うわけです。
よく今まで生きてきてくれた、暴言を吐く最低な奴かもしれないが、よく頑張って生き抜いてくれた!と尊敬の思いが込み上げるわけです。
自己の理解が深まるわけです。

そしてこの瞬間私たちは統合へと向かいます。
自己の統合です。いい悪いも存在しない多様な自己への進化・統合です。
統合とは混ざって一色単になることではなく、一つの中に数多の個がありのまま存在する事、その状態を自覚し受け入れる状態を指します。

しかしこのプロセスはまだまだ道のりが長いわけです。
何故かと言えば、私たちはまだまだ多種多様な自己認知、自己尊重、自己尊敬をなし得るだけの勇気、経験、知識、知恵、勇気、理解力を十分には有していないし、共有できていないと感じるからです。
ですから少しずつ、自分のペースで自分の中で統合をしていくのが良いかと思います。

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