前回は犠牲者の椅子と加害者の椅子について書きました。
今回は犠牲者意識の席に座る人の気持ちについて書いていこうと思います。
前回のおさらいですが犠牲者の椅子と加害者の椅子がありまして、この椅子をこよなく座る人がいると言うお話をさせていただきました。
犠牲者の椅子とは”自分が不幸だと主張する事で自分を守ったり、自己主張したり、相手より優位に立ったり、他者承認を得られたり、同情の支配をしたりできる”椅子でしたね。
加害者の椅子はその相手役をする羽目になる椅子です。
“責められる椅子です、とにかく悪いとされます、暴力や暴言を吐くことになります、振り回されます、自分をダメな人間だと思うことになります、居心地の悪い”椅子です。
詳しくは犠牲者の席と加害者の席にてお読み頂ければ幸いです。
それでは今回の本題に入りたいと思います。
犠牲者意識に座るひとってどうしてその席に座るのでしょうか?
辛いのは明らかです。
でも座らざるを得ない心境になるわけですよね。
そして確実に座り、不幸な人生を嬉々として選ぶのです。
ではなぜ座るのか?
これはおおよそ・・・だいたい・・・簡単に分類すると3つくらいの理由があります。
1つめ・・・自分自身の心にわだかまりが残っている場合。
これは俗にいう小さい頃の自分が言いたいことを言えなかった、できなかった事、傷ついた出来事の消化不良です。
2つめ・・・母親に対する恨み、憎しみ、母親との関係の消化不良
これは単純に母親にされたこと、言われたこと、態度しつけに対し傷つき自己防衛本能により、犠牲者意識を選択せざるを得なかった。
3つめは・・・父親に対する恨み、憎しみ、父親との関係の消化不良
これも母親の場合と同じです。怖い思いをした、高圧的に躾けられたことへの恐怖と恨み、憎しみなどでそうせざるを得ない自己防衛本能。
そしてこれらの心理的な状況を解消しないまま大人になると、私たちは「かわいそうな私」を演じないと生きていけないと思い込むのです。
これが簡単ではありますが犠牲者意識の椅子に座る理由です。
つまり能動的な行動をことごとく親や大人に躾として否定されると、できない自分に固執し、そこから転じて私は何もしてはいけないとか、いつも〇〇されるとか・・・いつも嫌だって言えない、言ってはいけないとか・・・いつも・・・助けてもらえない・・・いつも私は不幸な人間なんだ・・・と受け身の人生となります。
そしていつしか”私はいつもかわいそうな自分でいなければならない”という犠牲者意識の人生を作り上げるのです。
そして親との関係からこのかわいそうな私を通してのみ人と関わりを持てると言う事を学び、経験により信じ込み、人と繋がるには自分は不幸でいなければならないと思い込みながらも孤独への恐怖から必死に加害者になり得る人を探し、その人と犠牲者の席と加害者の席に仲良く座るのです!
そして更に互いに協力し不幸な人生を作り上げ、人生をドラマチックにしていくのです!
はっきり言ってもうやめどきですね!
この席に座り続けても幸せにはなれないし、愛を感じる事はできないのですから。
もしご自身がごちらかの椅子に座っているかもと感じたのであれば、ぜひ今一度その椅子を確認してみてはいかがでしょうか?
立ち上がるにはコツとちょっとした勇気が必要です。
頑張れ!自分自身!
もう一つ追加がありました。
この犠牲者意識の椅子に座る人が親になる場合、強敵が現れるんです!
それが子供です。
この子供という存在は、犠牲者意識の似た意識を持ち合わせています。
つまり弱者の意識といいますか、純粋に出来ない事が多々あり、純粋に自分の気持ちをどう表現していいかわからない弱さがあり、犠牲者意識の人には脅威、強さになるのです!
犠牲者意識の席と加害者(夫)の注目を奪われかねないと不安、恐怖になり、敵視する事があります。
もちろん子供に対しても犠牲者意識で接し、子育てしますから脈々と犠牲者意識の椅子は継承されるんですね。
次回は加害者の席に座る人についてお話ししたいとおもます。
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