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母性と父性

今回は母性と父性の基本的な役割とその重要性をお話したいと思います。
これらの母性と父性は一人一人に備わっています。
比率が違ったり、何かしらの理由で蓋をして無いように振舞っている場合もありますが、基本的には間違いなく備わっています。
それではそもそも母性と父性はなんぞや?についてお話しますね。
まず母性から順にお話します。

母性の基本的な役割


母性の役割は、共感、受容、吸収、融和、不決断、受動、融合、優しさなどです。
[受け入れる]の愛を主としています。
そして母性は、私たちの人生の幸せの大前提となります。
例えば、自分の気持ちを受け入れる。子供の気持ちを受け止める。パートナーの気持ちを受け止める、受け入れる。
こうした瞬間、私たちは自他に愛を感じ幸せを享受するわけです。
これが健全な母性の姿です。
しかしこの母性が希薄もしくは病理的である場合、以下のような問題が頻発します。
例えば自分の気持ちに蓋をする。気がつかないふりをする場合。→それによる不満、ストレスによりうつになったり、暴力的になったりします。また何事においても誰かに責任転嫁をした人生を送ります。

また子供の気持ちを受け入れない、受け止めない場合。→子供はグレるか、引きこもるか、従順ないい子を装いつつ、いつしか無気力になるか真逆の暴力性を持って社会や親に対して反撃をするようになる確率が高いです。

他にもパートナーの気持ちを受け入れない場合。→これは仮面夫婦や裁判を経ての離婚や最悪殺し合いの恨み辛みの離別、死別といったような悲惨な結末を迎える事も確率的に高くなります。
これがとても簡単ではありますが、母性の基本的は役割、有無、濃淡による差異の説明になります。
次に父性についても簡単にお話いたします。

父性の基本的な役割
父性の基本的な役割は主張、決断、意志、能動、分断、放出、厳しさ、勇気などです。
[分断]の愛を主としています。
この父性の重要性も母性と同じで、私たちの幸せには欠かせない要素です。
しかし私たち日本人はこの健全な父性が貧弱であると私は思います。
母性は若干育っている様に感じますが、この父性はとても貧弱極まりないと思います。
では健全な父性はなぜ重要なのかを説明します。
先程述べました健全な母性は受け入れる事を主としていますが、この受け入れる状態をずーっとしていますと病理的、つまり不健全な母性となって行きます。
詳しくは後ほど述べますが例えば、いじめられた子供が学校へ行きたく無いと行ってきた場合、母性の観点から親は学校に行きたく無いのであれば行かないくていい、もしくはその友達に会いたく無いのであれば会わなくていいと提案する。
ここではまだ健全な母性が働き、子供の心は救われます。
しかしこれが何かにつけて受け入れすぎたり、出口の無い受け入れ状態が続く場合、母性は不健全化し出します。母性は腐り出します。

先の例だと子供は学校へ行かなくなり、解決に向けた処方がない場合、その子の自尊心、自己肯定感は低くなり、人、社会を敵とみなしたり、引きこもったり、弱者を見つけていじめたり(年老いた親や幼児、動物、不祥事を起こした芸能人などへのバッシング)、虚勢を張ったり、鬱になったり、自傷行為や自殺したりもする可能性があります。
こうなる前に健全な父性が必要になります。
つまり母性は大切なものですが、母性だけでは人は健全に生きていけないのです。健全な父性がしっかり培われる必要があります。
では健全な父性のあり方とは何かと言うと、先の例でお話しすると、子供の気持ちを受け入れて共感した後父性を持ってその子に接します。
もしくはその生きたくない気持ちと同一化し過ぎないで分離させる事が大切です。問題と子供の気持ちを離すという事です。
「あなたのその気持ちはわかった。辛かったね。本当の気持ちを聞けてよかった話してくれてありがとう。このまま学校に行かないという選択も勿論ある。行く選択もある。どちらを選ぶかはあなたが決められる。そのどちらにもメリットデメリットは存在する。あなたが行かないを選択するのであれば、私はそれを支持する。そして行かない場合の別の進路についても希望があれば一緒に調べたり、見学したり、出来得ることの応援は最大限する。一方、行くという選択をした場合も勿論支持する。この場合は学校に共に働きかけをしようと思う。例えばいじめた生徒との話し合い、担任の先生との面談、校長先生との話し合い、PTAへの働きかけ、そのクラスへのいじめについてという議題の会議を親子や生徒だけでしてもらう機会を要求するなど」の考えがある。という具合に諸問題と子供の気持ちを明確に分離し、自分の意志や考えを具体的に提案したり、時に明確な導きをする事を父性は担います。
つまり抱きしめる母性から、立ち上がる父性なのです。
しかし父性だけでも人は生きられません。立ち続けることは不可能なのです。
健全な母性と父性がバランスよくあるからこそ、人は生きられるのです。

次に不健全な母性とは如何様なものかをもう少し詳しく説明します。
不健全な母性は、母性はあります。希薄でもゼロでもないのです。あるのです、溢れるばかりの母性が。
しかしこれが不健全という状態になっていくわけです。
これは厄介な問題となります。
なぜ厄介かというと、父性も関係してくるからなんです。

母性がある場合、抱きしめます。しかし深く抱きしめた後父性がそこで立ち上がるだけの強さが無い、もしくは培われていなくて弱々しい場合ずーっと抱きしめるだけのものとなります。これはしがみつきになります。
子供が立ち上がろうとした時も今度は手を離すことが出来ず、しがみ続けます。
長い依存、共依存であり、不自由であり、つまるところ不幸であり続けます。
そして抱きしめが強すぎた場合の結果は・・・・窒息死です。(実際は死なないかもしれませんが、息苦しい人生となります。)
ですのでここで健全な母性に抱きしめられた喜び、安心安堵に感謝をすると同時に健全な父性と共に立ち上がる事が必要なのです。

では不健全な父性とは何でしょうか?
これは自分の考えや意見、気持ちを持たない、言わない、行動しない事、もしくは常識性を押し付けるや暴力性、支配性をさします。
つまり存在感のない人、自分を語れない人、イエスマン迎合的な人、暴君、DVをする人となります。
子供が登校拒否をしても、分離も指針も導きも提案も出来ないとか、すぐに怒って学校に行かせようとするとか、精神論をかざして脅したり、暴力を使って解決しようとするのが典型的な不健全な父性です。

今回は子供の不登校を題材にしましたが、自分の心の傷にも勿論この母性と父性の果たす役割は大切となります。

以上で簡単ではありますが、母性と父性の大切さをお伝えいたしました。
健全な母性と父性についてのお話でした。

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