優しい気持ちを大切にしています

知る・体験する・在る(三位一体・トリニティ)

このページでは、「知る・体験する・在る」(三位一体・トリニティ)について説明します。

この「知る・体験する・在る」は人生を生きる上でとても大切で、基本中の基本、大原則です。
私としては、義務教育の一貫で習いたかった事です!
ですので、専用ページにて丁寧に説明します。
それでは一つずつ分かりやすく説明します。
そして最後にまとめてその重要性を再度お話しますね。

知る・経験する・在る

知る・気がつく

まず自己を「知る」です。
これは自分の気持ち・感覚・意識などに「気がつく」ともいう事ができます。

 

自分の気持ち、感覚に気がつくと何がいいのか?何で大切なのか?
それは簡単に言えば幸せそのものなんです。幸せになれるのです。これに尽きます。

自分に気がつくだけで幸せになれるの?そんなバカな?

そんなバカなが在るんです!

そして人生の幸せの大半を占めるのもこの『知る』なんです。

 

例えばヨガを体験した場合(ヨガでなくてもいいですよ)。

「ヨガを体験してみた。気持ちよかった。スッキリした!ヨガいいなぁ」って感じている自分がいる事に客観的に気が付いてあげるんです。「ヨガをする事で気持ちよくなってる自分がいる!」って。
気が付いてあげると嬉しさが込み上げてきませんか?
上記文章を読んだだけでも気持ちが嬉しくなりませんでしたか?
別にならないと言う方は、ヨガをご自分の好きなものに変えて試してください。
ケーキが好きなんだ!ラブストーリー映画を見るのが好きなんだ!

ゆっくり再度心の中でつぶやいてみてくださいね。

 

もちろんネガティブ感情でも気がつく事で、愛を感じますよ!
私ちょっと疲れているんだ!今すごく悲しいんだ・・辛いんだ・・とか
これは気が付いてくれてる嬉しさ、今ここに存在していい感覚です
友達に〇〇いいよねって、今〇〇で大変だねって共感してもらった瞬間の嬉しさと同じ感覚ありませんか?
自分が自分に共感してあげるんです。

そうするとほぼ間違いなく幸せを感じるんです。

これが肯定感であり、生きる喜びであり、希望であり、優しさでありなんです。

 

幸せは私たちが毎瞬毎瞬感じている自分の感情、感覚、意識状態をできる限り「知る」「感知する」から始まります

 

朝起きて、今日はいい天気だなぁ、いい気分だなとか、ちょっと眠いな、昨日の喧嘩が心残りだな、可愛い子供の寝顔だなぁ・・などなどから始まり、瞬間瞬間多くの事を私たちは感じて生きています。
感じる全てを処理できなくても、心に残るいくつかの心象を認識する事はできます。
これが「知る」です。
つまりありのままの自分をできる限りその都度そのまま「知る・気がつく」のです。

 

すごく大切なのでもう一つの例えを出しますね。
パートナー、親、友達、上司と喧嘩した場合。
「〜と言われてムカついた。」この瞬間、私たちの多くは被害者として一日中言われた事にショックを受け、苛立ち、無意識にもどうやって仕返しをしてやろうかと画策するのです。していますか?^^
そしてあの人は、常識はずれな事(もしくは明らかに真っ当な事)を一方的に私に言って、私を傷つけた酷い人だと決めつけるのです。
相手が〇〇だからダメなんだ!とか相手が〇〇で困るのはいつも私だ!と相手の行為、責任について一生懸命考え、相手が加害者・原因で自分は被害者だと考えるのです。

そして被害者となったあなたは、正義を勝ち取る為の長い長い争いを始めるのです。

始めたら簡単!坂を転がるようにドンドン不幸になっていき、最終的にはただただ疲労感を感じる事になります。^^

 

でも三位一体の「知る・気がつく」を知っているのであれば、上記の様にはなりにくいのです。
どうしてでしょうか?

 

それはどんな嬉しい事も嫌な事も自分を知る機会だと知っているからです。自分が自分というフィルターに気がつく機会だと理解しているからです。
つまり〇〇にムカついた=傷ついた=その事にこだわりがある自分がいる事を知る機会だと捉えるのです。
「こういう事で傷つく自分がいるんだ、そうかそうか」「そうだったんだ、自分の事こういう風に考えていたんだ」と気づくのです。

「知る」を知る者は、どんな相手も自分の意識が映し出された現象に過ぎないことを理解し出します。

「そういえば私は、あの時あの人に自分の事を理解してくれる優しい人であってほしいと勝手に期待していたんだなぁ」と気がつくのです。

(これらの作業をカウンセリングを通して行う人達もいます。健全なカウンセラーは自己を知る導きをしてくれているのです。)

 

ここだけの話、本当のことを言ってしまうと自分が自分を傷つける事が出来ないので、他人に依頼して傷つける役をおねがいしているのです。

つまり裏を返せば、自分が自分に「バカだ、アホだ、間抜けだ、ひどい人だお前は!」と傷つけているのです。

ですので、
「最低な人間だな!大っ嫌い、死ねばいい!」って人から言われていると信じ込むと大層傷つくと思いますが、自分が自分に一生懸命言っているとしたら(実際には自分が自分に言っているのですが)

「こんな被害者体験もう、やーめたっ」ってなりませんか?
つまり誰かに罵倒されたり、非難、批判されたりした場合、全て自分が自分に言っていると数秒立ち止まって意識してみてください。
その瞬間、恐怖や悲しみは一気に吹き飛び、「アホくさ〜、もう止めよう」ってなります。

これも裏を返すと(一体どれだけ裏を返すの?笑)自分を痛めつけたい人は、この法則を一切理解しようとしないし、実際意思を持って理解しません。だって理解したら夢から冷めちゃうし、せっかく用意したダイナミックな自作映画がいいところで終わってしまうからです。^^

 

だから実際は全然悲しいことはないのです。そこには自己愛しかないのです。

 

少々長くなってきましたが、これらが「知る」つまり自分を他者を知る・ありなままの自分・他者に気がつくという事です。

また他者がいるからこそ、分かりやすく自分を知れるのです。他者はありがたい協力者なのです。
もちろん、他者がいない場合でも自己を知れます。
綺麗な花を見て、心が嬉しくなるのを感じたり、運動して気持ち良かったりしているのに気がつく事も「知る」という事になります。

 

現代の多くの人が、この自分を知る事に無頓着、もしくは長年の教育課程の中で押し殺してきた事だと強く思います。(自分をよく知っている人は、個性が自然と発達するので日本では協調性の無い異端児扱いされたり、個人の意見が目立ち仲間はずれにされる事もあると思います。)

体験する・受け入れる・許可する

次に自己・他者を「体験する」です。

これは自分と相手を受け入れる、許可する・認めるとも言えます。

これは何が大切なのかと言うと、受け入れる事で自分(相手)への抵抗がなくなり、「知る」以上にますます幸せになります。

例えば「ヨガが気持ちいいと感じている自分に気がつけた」(気づく・知るレベル)から

次の体験する段階「そうだよね、気持ちいいよね、うんうんわかる。頭がスッキリするよね、やってよかった〜」って自分が感じた事を受け入れるんです。(体験・受け入れレベル)

 

毎瞬感じている自分に気がつき、今まで見てこなかった自分を知った後、その自分を丁寧に体験します。

もう一つの例え

「私は今はビーチリゾート旅行に興味があるんだなぁ」(知る・気づく段階)
「そうだ、最近旅行に行ってなかったなぁ、忙しい毎日だけど行きたいよね、うんうん。ツアー探してみようかな、すぐじゃなくてもいいし」(体験する・受け入れる・行きたい気持ちに許可を出す)

どうでしょうか?知る気がつくレベルと受け入れる、認めるレベルの違いが体感出来ましたでしょうか?
盛り上がり方が一段とアップしていると思いませんか?全身で感じる喜びみたいなものを感じると思います。

 

体験するとは、自分の気持ち、感覚をそのまま体験する=受け入れる、許可する、認めるという事になります。
しかしこの段階で、多くの人は自分に拒否をし出します。
「行きたいなぁ、でもお金ないし、どうせ休暇取れないし、やっぱりツアー探す時間もないし、一緒に行く人絶対いないし」と寄ってたかって自己否定を連発します。そして行かない事を誰かの責任(友達が忙しいから)にしたり、仕事(上司が許可しない)、生活費(毎月カツカツなのに)、政府(税金搾取の無能だし)、社会(人の目がきになるし)の責任にします。
(それでいて心の中では、しっかり自分も責めています。罪悪感、自己否定をしっかりしています。)

ただ受け入れるだけの事をしないのです。
あたかも受け入れたら罰でも受けるかの如く拒否します。(罪悪感)
あたかも受け入れたら絶対にすぐ行動しなければならないかの如く否定します。(義務感)

 

じゃぁどうすればいいの?という声が聞こえてきそうです。

ですので、ここは1度素直にただ受け入れるのです。

「そうなんだ、行きたいよね、うんうん。どこがいいかな?やっぱりボラボラ島かな?海〜綺麗だよね〜🎶はぁ〜❤️いいよね〜🎶インスタ映えしそうだよね〜」おしまい。でも〜〇〇で繋げない。

しっかりと自分の気持ち、感覚、意識を体験する、受け入れるのです。
そして禁止する自分がいたら、その禁止する自分の気持ちも優しく受け入れて、許可するのです。
「いいよ。思っていいよ。誰も邪魔しないし、怒りもしないよ」って。

こうしてじっくりと素直な自分を受け入れていくと、段々とあなたの現実に変化が出てきます。

在る

そして受け入れた後には、ありのままの自他で「在る」状態です。
これはまさに受け入れた後の状態を指します。

この「在る」状態だと何がいいの?と言いますと、ズバリあなたの人生に奇跡がバンバン起こり始めるのです。
人生が楽しく、楽に、気持ちよくなるのです。

旅行に行きたい、ボラボラ島に行きたい気持ちを受け入れている状態。禁止、否定もなくなり自己を肯定している状態でいると奇跡と思うような変化があなたの目の前に現れ始めます。
特に最近はグーグルさんのお陰で、一度でもネットでボラボラ島と検索すると、ボラボラ島関連の広告がここぞとばかりに出現しますがそんなものでは終わりません。
意識レベルだと、街中のイベントでボラボラ島企画を見かけたり、友達との会話でボラボラ島に行ってきた人と出会ったとか、面白いぐらいボラボラ島関連の情報が次から次へと入ってきます。

 

これらがトリニティ・三位一体「知る・体験する・在る」の説明です。

まとめ

自分を知る事であなたは幸せの扉に気がつき気持ちよく開けます。
自分を受け入れることであなたは幸せの部屋に気持ちよく入ります。
自分が自分で在る事で、あなたは幸せの部屋でくつろいで幸せを感じながら永遠に過ごします。

 

全ての人が自分劇場をして楽しんでいます。
自分一人では何も出来ないので、他者に出演依頼し、自分でも忘れるくらいの迫真の演技で演じてもらっているのです。
被害者ぶったり、世界の中心で愛を叫んだり、批評したり、有名人になったり、加害者になったり。

全て自分を体験したくて、感じたくて自分劇場を営業しているのです。

 

この原則を知れば、間違いなく自分の人生を創り出す事が出来ます。
次はどういう経験をしたいのか?どう感じたいのか?したい演出をすればいいだけです。

自分が自分に喜びを与えたいのか?それとも悲しみを与えて、その悲しさとはどういう感じなのかを知りたいのか。
全てはあなたの意識次第なんです。

思う存分自分の人生を楽しめばいいのです。
と言うか・・・それしかないのです。^^

これが人生の大原則です。

お分り頂けましたでしょうか?^^

最後までお読み頂きましてありがとうございました。
少しでもあなたのお役立てる事をお祈りいたします。

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